金曜日が好き

雑多な感想文

2022年4月

いろんなことがあった。良くも悪くもいろんな感情と出会うことになった1ヶ月だったので、そのことを忘れないようにここに記しておこうと思う。

まずは、社会人2年目になった。あっという間の1年だったなあと思う。まだ私は完全な大人ではないと思っていて、たくさんの人に助けられながら辛うじてまともに生きられている感じだが、助けてもらえることがどんどん減ってきて、自分で解決しなければいけない問題も増えてきたように感じられる。どうしたらいいかわからないし、誰も私のことを理解してくれないと感じることも増えてしまった。それでも、なんとか歯を食いしばって自分にできることを探しながら生き抜いた感覚。働くって本当に大変だし、面倒なこともたくさんあるけれど、私は「誰かに頼りにされる」という経験をしたことで大きく成長できたと感じている。頼られるって、嬉しい。

あとは本当に良い上司に囲まれたな、と実感した。仕事は「人」。それに尽きる。社会人1年目が後半に差し掛かり、もうこの方たちと一緒に仕事することはないかもと感じ始めた頃から、すごい気分が落ち込んだ。いつも私をよく導き、よく守り、よく支えてくださる方たちだった。私はこの人たちがいるから、めげそうな時も乗り越えなければ、と自分を鼓舞することができたと心から思う。最後の日、本当に泣きそうになりながら、係長に「本当にお世話になりました」と伝えたら、「勝手に育ってくれたようなもの。水と太陽だけで育っちゃうような人でした」と答えてくれた。絶対にそんなことないんだけど、この人にそう言われたらそうなのかもと思うほどには係長のことを尊敬していたので、本当に本当に嬉しくて言葉にならなかった。課長にも「本当によくがんばってくれましたね」と声をかけてもらい、優秀な方が揃ったこの部署で、誰にもなめられないようにとなるべく多くのことを吸収し、フィードバックできるように努力したことを、見てくれている人がいて良かったと思った。がんばってよかった。

3月から4月にかけて多くの人を見送り、多くの人を出迎えた。別れは辛いけれど、それに慣れていかなければいけないと思った。社会人1年目にして多くの良い出会いとの別れを経験してしまったので、喪失感が大きかった。不安も大きかった。甘えていたのかもなあと思うけれども、それでも新しいコミュニティーを作るのは久しぶりのことだったし、ワクワクというよりは、ドキドキ、ソワソワという感じ。

それだけに、4月の1ヶ月間は、一言で言うと「試練」だった。これまで上手く回っていたことがひとつも回らなくなり、余計な気を遣うようになり、業務以上の疲労を感じることが多くなった。最近になって、同じ係のお母さん(と私が勝手に心で読んでいる)も同じように感じていたと知り、「私だけじゃなくてよかった……」となった。残業も増えて、「なんか、ちがう……」と思いながら仕事をする1ヶ月。正直苦しくて、職場で泣きかけることが激増した。もうそろそろ、心が壊れそうである。

特に直属の上司と話していると、本当に性格が合わないようで、今こうして文章を書いている時も胸焼けのような気味悪さを覚える。常に私の言うことを否定し、私が伝えたいことの本筋ではないところで謎に話が展開され、理解してもらえるまでに倍以上の時間を要する。部下の私を問題の矢面に立たせ、私が批判を受けた時も大したフォローをしてくれなかった。もちろん人が違うわけだから去年のようにいかないのは覚悟していたことだが、こんなにうまくいかないといろいろと不安になる。そして一番苦しいのは、それを私に特別な悪意があるという様子ではなく、あくまでも自然体で繰り返していることだ。本人にはまったく悪気がなさそうなので、指摘もしづらい。そもそも直属の上司なので、この気持ちを伝えることで働きづらくなるのが一番怖い。どう伝えるべきか。伝える必要があるのかないのか、考えることにエネルギーを使うのにも疲れてしまった。いつかこの不気味な感覚にも慣れて、何も感じなくなる日が来るのだろうか。その時、私はどんなことを考えながら生きているんだろうか。

4月。私は社会がそんなに甘くないことを思い知らされた。