金曜日が好き

雑多な感想文

鏡のなか

やんわりと人に相談してはいるけど、自分事として考えるべきなのか、他人事として静観するべきなのかわからなくて、ここに書き残しておくことにする。

4月から新しい係長がやってきた。もともと別の部署にいたときから軽く一緒に仕事をすることもあって、素性のわかる人が来てくれて良かったなと思った。3月まで一緒に働いていた係長は昇任して、そのまま横滑りで課長になった。

もともと課長はパワハラ気質というか、仕事ができすぎるが故に周りの人に必要以上に厳しく当たることがある人だった。私はその標的になったことはないが、ひとつ前の部署で同じような経験をしているから、自分がそれを受ける側でないとしても、見ているだけで結構しんどい。でも、基本的には悪くない人だと思う。優しいし、よく話を聞いてくれる人でもある。その反面…と語られる「反面」が、人によってはとても厳しく、冷たいもののように感じるのは仕方のないことなのだと思う。

毎年変わるターゲット。今年は、もしかすると新しく来た係長なのかもしれない、とふと思った。

課長は、3月まで自分がやっていた仕事を引き継いでいるわけだから、自分と同じクオリティを求めようとするけど、どうやったってそれは課長だからできたことであって、後任がどんなに仕事ができる人だったとしても、同じクオリティを担保するのは極めて難しい。それでも、高いレベルのものを求めようとしているように見える。しかも、この課の仕事はとにかくマルチタスクの鬼、ルーティンの鬼。同じことを同じレベルで確実にこなしつつ、突発的なものにも対応していかなければいけない。たぶん、その感覚が係長にはまだチャンネルを合わせられずにいて、戸惑いながら働いているのではないだろうか。課長は、たぶんそれも分かっていて、今まで通りに業務の歯車を回せていないことに憤りを感じている。私には、それが伝わる。伝わってしまっていいのか、というのは別問題だ。

今日、朝から係長は課長にダメだしされていて、見るからに元気をなくしているようだった。本音を言えば私のほうが朝何の気力もなくて1日働けるかどうか自信ないってくらいだったのに、そんな弱った係長の姿を見ていたらどうしようもなく切なくなってきて、無駄に明るく振る舞おうと頑張ってしまった。空回りしていなかっただろうか。残業中、ぽろっと「もうダメかも」と係長が言った。冗談交じりのような話し方だったけど、本音のほうが多いのかもしれない。数年前の自分を見ているようでつらかった。

組織上の立場があまりにも弱い私が、係長のためにできることって何だろう。課長がいない間できるだけ愚痴を聞いて、できるだけ共感して、できるだけ仕事を引き受けて、それ以上にできることなんてなくて、それで何か助けになっているのだろうか。課長を悪者のように扱うことも、正しいのかわからない。優しくて、私のことをいつも気にかけてくれているのもまた事実だから、余計に頭がごちゃごちゃしている。

「できるだけ味方でいたい」という気持ちだけあれば、十分なのだろうか。課長は敵じゃないのに、敵だってことにして、本当にいいのだろうか。私は、ずっとここに身を置いていいのだろうか。

迷いは尽きないし、答えも出せない。ただ、みんなができるだけ健やかに仕事ができる環境を作るために、私がやるべきことは何なのか、考えることをやめないようにしたい。する。

愛を可視化する

20260101

Hey! Say! JUMP DOME TOUR 2025-2026@東京ドーム

JUMPのライブも3回目。年末年始はこれがないと始められない!個人的に大晦日は嬉しかったり悔しかったり悲しかったり楽しかったりで感情がぐちゃぐちゃになってしまったので、このライブですべてをいったんリセットしたかった。元日早々何を言っているんだという話ではあるけれど。

裕翔くんが脱退してから初めて見る7人でのステージ。去年買った水色のリストバンドをどういう感情で着けていいのかわからなかったし、7人しかいないステージを見てどう思うのか想像もできなくて、公演が始まるまでは少し怖かった。

結論、すべて杞憂だった。時間が経つと形を変えていくステージ、今も昔も織り交ざったセットリスト、安定したパフォーマンス力……挙げたらキリがないけれど、正直、空いた席を思い出すことはほとんどなかった。ただひたすらに目の前で全力で歌い踊る彼らを目に焼き付けることに精いっぱいだった。2時間みっちりディズニーのパレードを見ているような感覚。

特に満を持して登場した生オケには感動しっぱなしだった。生オケを想定しているんだろうなと思う曲がアルバムに収録されていたから、あるんだろうと心づもりをしたつもりでいたけれど、いざ目の前にオーケストラが出てくるとそんなことは吹っ飛んでしまった。明らかに違う音圧で、教会のように変化したセットから出てきた、王子様のようなJUMPを見たら、あまりの美しさにこのまま私結婚式でもするのかな…?と思ってしまった。あの場所にいた人はみんなそう思っていたはず。あの感動はきっとこれからも忘れられないだろう。オーケストラ用にリアレンジされたDEAR MY LOVERでもちゃんと踊るオタク、ちゃんと好きなことに全力で素敵だなあと思った。しかも10年以上経って愛僕を生で、しかも当時の演出を踏襲したバージョンで、オケを背負って聴ける日が来るなんて。夢みたいな時間だった。いや、夢だったのかも。どのパートも素晴らしかったという大前提で、オケパートは感動が倍増してしまった。

これまで聞こえていたはずの合いの手、大好きだったパート、見れなくなってしまったものはたくさんあるかもしれない。でも、その分幸せを届けてくれる、安心していいんだよと伝えてくれようとしている7人が、私にはとても頼もしく映った。彼らもきっと不安なはずだけど、今と、その先をちゃんと見つめて前に進む彼らを信じていたい。そして、あなたちはこんなにたくさんの人を幸せにできるんだよと、そんな愛が伝わっていたらなあと思う。

思い出を大切にしまう'26

27歳になった。

こうして誕生日を迎えるたびに1年を振り返るのも3回目になる。その年々、いろんなことがあったなあと思うけれど、年を重ねるたびに「この1年が人生最高の時間だった」と感じられる思い出であふれているのは、なんと幸せなことだろうか。例によって、26歳も人生最高を更新する1年だった。

よくよく振り返ると、26歳の一年は、自分らしく生きることをがんばる時間だったように思う。楽しいと思えることから逃げないように、自分の気持ちに噓をつかないように、それでいてやるべきことはやり抜けるように、心のペースを乱さない術を少しずつ身につけられた感覚がある。私はみんなと同じようにどうして生きられないんだろう、と比較して一人で勝手に悲しくなる夜もあったけれど、そのたびに友人たちの言葉に救われてきた。いつも助けてもらってばかりだから、今度こそは、みんなを支えられる人間になれたらなあとぼんやり考えている。

ひとつ、ふと思い立ち、マイブックを買って日記をつけ始めた。三日坊主を極めてきた人生で、久しぶりに一年を通して続けられたこと。もちろん中には3日分を一気に書き留める日もあったけれど、自分の心の内を書き残したこの本は、きっと何か価値があると思いたい。2026年に入ってからも継続して書くことができている。事実だけじゃなくて、どう思ったか、どうしたかったか、もっと具体的に綴ることを意識して書いてみたいと思っているところ。

ひとつ、歯の矯正治療が終わった。2年と少し前、今しかないと思い立ち始めたことが遠い過去に感じられるほど、この2年はいろんなことがあったなあと思う。当時思い描いていた人生にはもちろんなっていないが、当時の漠然とした人生に対する不安は少しばかり薄れてきたような気がする。歯並びが整うと、心も整うのだろうか?

そんな冗談はさておき、自分のコンプレックスでもあった歯の噛み合わせの悪さが日に日に改善されていくさまはとても気持ちが良く、いろんなことを我慢してでもやった甲斐があった。これから治療より長い3年間の保定期間が始まる。面倒なことはまだまだ続きそうだけど、新しい自分をまた好きになれる気がしている。

ひとつ、思い立って、今年やりたいことを書き出してみた。100個くらい簡単に出せるだろうと思っていたのに、買いたいものを含めても30個も書くことができなかった。それなのに毎日買い物をしているのだから不思議だ。きっと、「いつか」よりも「今」を優先してしまっているのだと思う。もう少し何か目標を決めて、例えば「これを買いたいから仕事を頑張る」みたいに、目先だけじゃなくて少し遠くを見る生き方を選びたい。ひとまず、リストとして書き出したやりたいこと、欲しいものを実践することから始めてみる。

ひとつ、26歳に置き忘れた夢(というかやりたいこと?)がある。まだここに書けるようなクオリティではないので、ちゃんと形になってから報告するつもりだけれど、勢いで完成させたかったのにグダグダと今日まで来てしまった。進捗率はたぶん1%にも満たない。無駄なお金を使うことをやめないといけないのに、これのためにいくら払っているんだろう…と思うとがっかりしてしまう。27歳こそは、必ず実現させたい!新しいパソコンも手に入れたわけだし!

ひとつ、仕事をやりきりたい。いまの職場だとできることが限られていて、目標を立てて頑張るとか、何かプロジェクトをやり遂げるとか、そういう達成感を感じられる場面は非常に少ない。それでも頼りにしてくれる人がいて、何度も「ここに来てくれて良かった」と伝えてくれる上司や同僚に囲まれている今の環境にはとても感謝している。だからこそ、自分にできることをちゃんとやりきって、思い残しなくこの1年を終えたいと思っている。お局たちをうまくかわす技術だけ身に着けていても意味がない。生活リズムも大きく乱されることがないから、アフターファイブの過ごし方の質も高めていけたらなと思っている。

26歳もたくさんライブに行って、いろんなエンターテインメントに触れて、海外旅行にも行けて、たくさんの素敵な出会いや発見がある一年だった。27歳はこれにもう少し本を読む時間を加えて、語彙力を高めていきたいと考えているところだ。おすすめの本があったら随時教えてほしい。

ちなみに、半年間毎月ライブに行くという楽しい現象が年始早々から始まっている。がっつりオタクとして生きてきた十数年の中で、きっと最も忘れられない一年になると思う。この一年が終わりを迎えるころ、私はどんな感情で過ごしているのだろうか。想像もできないけれど、とにかく一瞬一瞬を楽しむ気持ちで、夢みたいな時間を自分のために駆け抜けていきたいと思う。

もっと言うと、カメラを使いこなせるようになりたいし、ジムもちゃんとペースを決めて通いたいし、仕事に活かせる知識を身に付けたいし、部屋を綺麗に保てるようになりたいし、カラオケで安定して95点を取れる曲を増やしたい。挙げてもキリはないけれど、少しずつ、人間として成長できる自分でいたいな、と思う。そして、健やかに生きることができれば大満足。まずは野菜をちゃんととることから。

特に根拠はないけれど、「27歳」ってなんだかとてもリアルだ。いつまでも楽しいことだけに目を向けられないのだろうと分かってはいても、今だけは楽しませてくれよという気持ちが勝ってしまう。それでも良いと思えるように、一瞬一瞬噛み締めて過ごさなければ。楽しく生きていたい。

誕生日を迎えた瞬間、私は歯磨き中だった。なんとも間の抜けた始まりだ。それもまた私らしいかな。

2025年12月31日

12月26日、仕事を納めてからの5日間は一瞬だった。

やるべきことも大きなイベントもなく、とりあえず実家に帰る。4日間でやったこととして思い浮かぶことといえば、寝る、食べる、テレビを見る、くらいだ。この1年間それなりに働いてきたのだから、それくらいは許されてもいいだろう、と高を括る。

気付いたらもう大晦日。2025年も終わってしまう。自分にとってこの1年はどんな時間だっただろう、と考えると、とにかく自分の中にある明るい感情に導かれた時間だったように思う。楽しいと思えること、幸せだと思えることに向かっていろんな決断をしてきた。去年よりも後ろ向きな理由で泣くことが少なくなった気がする(と言っても、無くなったとは言えない。悔しいことは世の中に山ほどある)。楽しい1年だった。私にかかわってくれたすべての人たちに、この場を借りて最大限の感謝を。

来年はどんな1年になるだろう。そう思いながら年始早々ライブに行き始めるわけだが、新しいことにチャレンジしつつ、今年思い付きで始めたいろんなことをきちんと「生活」にしていきたいなとぼんやり思っている。この辺の話は、またあらためて整理することにする。

先日、母からBAKUNEをプレゼントしてもらった。一度も夜中に目を覚ますことなく、かつ決まった時間に必ず起きられるというのは何とも不思議な感覚だ。とにかく爆寝して、新たな1年に備えようと思う。よいお年を。

随筆

大学生になるタイミングで買ったパソコンが、ずっとWindows11に更新できなかったので、7年ぶりにパソコンを買った。というより、初めて自分でパソコンを買った。たくさん悩んだ末のかなり大きめの買い物なので、この機会にいろいろと頭の中を形にすることにチャレンジしてみようと思っている。

というタイミングで書くことでもないけど、ずっとモヤモヤを抱えていても仕方ないので、いい機会だと言い聞かせて言葉にする。厄介な乙女心?のはなし。

明日の正午までにどうしても決めないといけないことがある。timeleszのライブに申し込むかどうか。きっと彼らにしてみれば、大した問題ではないし、私が行くかどうかで何かが大きく変わるわけでもない。でも、やっぱり、仮にも10年近く心に置き場を作ってきた人たちだから、私にとっては大問題なのだ。

名前が変わってから、メンバーが増えてから、1年近く経とうとしている。タイプロをひとつのエンタメとしてあんなに楽しんでいたはずなのに、新メンバーが増えることを前向きに考えられていたはずなのに、私は2月からちっとも前を向けていない。というか、ずっと後ろに進んでいるような感覚すらある。並走する電車の速度が違うと自分が後退しているように感じられる、あの感覚とどこか似ているのかもしれない。置いていかれている。追いつけない。折り合いも、つけられない。この気持ちに名前を付けるとしたら、「諦め」になるんだろうか。

たとえ彼らが前身のグループ(名前を出したら私の中で何かが壊れてしまいそうなので敢えてこう表現することにする)を大切にしてくれていたとしても、「過去があるから今がある」と言ってくれても、目にする情報や現実はどうしてもそう受け取れない。どうやったって、変わってしまっている。メンバーが一新されたわけでもない、前身のグループにいた3人がいても、別物になってしまった。それを受け入れることができないのは私の弱さになるんだろうか。

10年以上夢見ていたものがたった1年で実現してしまう現実が、とてもむなしい。私が最強だと思っていた5人を否定されているような気がして、とてもくるしい。ずっと応援していたひとたちの夢が叶っていく瞬間を素直に喜べない自分が、とてもかなしい。

彼らにとってすれば、今を応援してくれる人がすべてで、私みたいな真っ黒な感情を抱えている人間など、必要ないのはわかっている。私も、そんな人に応援されたくない。だけど、そんな簡単にハイさよならとするには、この10年はいろいろありすぎた。

ずっと応援していた人が顔も見えない人たちに傷つけられているのを見るのはつらい。でも、それを守ってあげられる強さや優しさ、心の柔らかさが、今の私にはないから。目を背けていれば、傷つくことも憤ることもなくて、その距離感にある種の安らぎすら覚えている自分もいるから。

結局のところ私は「宝箱にしまえていない」だけなのだと思う。ずっとうじうじしていてごめんね。申込ページまで行ったけど、最後の一押しがまだできずにいる23時半。

たぶん、もう二度とあの頃のような気持ちで応援することはできないけれど、私があなたたちの乗る列車に乗ることはもうないような気がしてならないけれど、どうか幸せでいて。

人間1周年

例えるなら、「人間になって一年が経った」。

実家を出てちょうど一年。四半世紀ほど生きてもなお、世界は知らないことだらけなんだと思い知らされる日々だった。何度も失敗して、何度も感動した。

この一年の自分には、ひとまず及第点をあげたい。慣れないことと、慣れない気持ちと、よく闘いました。ようやく人間として最低限出来たほうがいいことを、あまり悩まずにできるようになってきたかな。それだけでも成長と言ってあげたい。

次の一年は、時間とお金の使い方をよく考えながら過ごしていきたいと思っている。我慢することも大事だけど、我慢しないことも大事で、そのバランスを考えながら、もっと充実して健康的な日々を送れるように。人間2年目も自分なりにがんばってみる!

日記

この10ヶ月間、長かったような、短かったような、不思議な時間だった。私が見てきたtimeleszは明日、新たな門出の日を迎える。

番組が始まってからしばらくは「この中から誰か入るくらいなら、誰も入らないでほしい。むしろ、その選択をとれる3人でいてほしい」とすら思っていた。徐々に審査が進んでいって、候補生のみんなの魅力に触れて、「新メンバーがきっと入るんだろうな」という予感と共に、その予感から目を背けたくなる自分もいた。

でもいま、私は「この中から誰が選ばれるんだろう?私はこの人に入ってほしい」と純粋な気持ちで考えている。そんな心の変化を与えてくれたのは、紛れもなく3人と候補生のみんなとこのプロジェクトを支えてくれたすべての方々だと思う。改めて、すごいプロジェクトだった。

私の中で思い描いているメンバー構成には、恐らくならないと思う。私は一般的な意思とは遠く離れたところにいるから。しばらくはまた10ヶ月前のように事実を受け止められないこともあるかもしれない。だけど、いつか、この選択が正解になる瞬間を見届けたいと思う。それが少し楽しみでもある。

候補生の素敵なところを見つけるのと同じくらい、3人のこともこれまで以上に大好きになった。こんなに愛と勇気を持って、10ヶ月の間3人がいろんなことと向き合ってくれた日々があったことを、私は絶対に忘れない。

全員が納得するような答えは、この世にはないと思う。その答えに正しさを付け加えることは、きっと容易くはない。だけど、貴方たちならきっとできる。私はその過程を信じていきたい。

3人と、明日会えるまだ見ぬ貴方へ。

夏に会えるのを楽しみにしてるよ!!(まだ何も決まってませんよ)