金曜日が好き

雑多な感想文

夜が明ける、幕が上がる

映画『夜明けのすべて』を観た。

完全にキャスト目当てで観に行ったのだけど、この作品に込められたメッセージが自分の人生のモットーと重なるところがあったので、少しだけ言葉を綴ることにする。

作品は、PMSの藤沢さんとパニック障害の山添くん、そのふたりが関わるひとたちのお話。見えない苦しさを抱えるひとたちが生きていく時間は、決して悲しいことばかりではなくて、捉えようによってはとっても素敵な明日がある。

最後のほうにある、とあるシーンの上白石萌音さんの長台詞が特に印象に残った。要約、というか自分なりに解釈したのは「辛いことはいつか終わる」というメッセージ。まさに、私が生きていく上で心の中で唱え続けている言葉だ。

夜は平等にやってきて、朝も平等にやってくる。辛いことは世の中に思ったより転がっていて、そんな出来事に触れると心が折れたり、涙が溢れてしまったりするのだけど、そんなときこそ、心で唱える。「この辛さは、いつか終わる」。そして眠りについて、朝が来たら、その辛さは和らいでいることが多い。自分のその体質にはたくさん救われてきた。私よ、いつもありがとう。

どんなこともいつかは終わる。良いことも、悪いことも。ときどき切なくもなるけど、そのことを忘れなければ、私たちはまた少しだけ前を向いて歩いていける気がする。

作品の中にはたくさんの温かな心があった。みんながこうやって周りのことを思いやれたら、きっともっと素敵な世界になるのに。

思い出を大切にしまう'24

25歳になりました。

と書いているうちはまだ24歳だけれども、きっと書き終わる頃には25歳の私と出会えていることだろう。

24歳は、どんな一年だっただろうか。少し考えてみると、思い出すのは楽しかった思い出たちと、ずっと人生の目標にしていたことに手をつけた達成感と、少し苦味のある仕事のことだった。でも、総じて楽しめていたような気がする。

ライブを見に福岡まで飛んだり(しかも2回!)、20数年ぶりのロッキンに行ったり、週1ペースでライブに行ったり、とにかく音楽をはじめエンターテイメントに触れる機会が多かった。そこで得られるパワーって凄まじくて、受け取りすぎて次の日仕事が手に付かなかったりもした。最近、私はこうやって時々充電しながら生きていかないとしんどい人間なんだろうなあと思い始めている。でも、依存してしまうようではダメなので、程々の距離感で。25歳もできるだけジャンルレスにいろんな音楽に触れられる一年になったら嬉しい。関係各位、ライブのお誘い待ってます。

仕事では、いろんな人に愚痴を言っているけど、とにかく直属の上司がパワハラ気質で苦しい。一番しんどい時期は乗り越えられたけど、それでもスイッチが入ってしまうともう止められなくて。私がターゲットになることは少なくなったとはいえ、その場に居合わせると当時のことを思い出して心にキュッと力が入る。そんな上司と2年弱一緒にいるから、だんだん自分で考えを伝えたり、間違いを指摘したりするのを諦めるようになってきたことに最近気付いた。自分のネガティブな変化を人のせいにするのは良くないけど、でもそんな気がしていて、はやくここから抜け出さなければと思っている。

話変わって、私は普段から目標に向かってあれこれと段取って進むタイプではない。小学生の頃から通信教育は溜め込むし、学校や塾の宿題もやりたくないものはギリギリまでやらなかった。これまでの人生、たくさんのことを先延ばしにしてきた。(余談:「先延ばし」というワードを目にしたり口にしたりするたびにドラマ『ごめんね青春!』のとあるワンシーンを思い出すのは私だけですかね。)

だけど、24歳はそんな先延ばしにしていたあれこれをちゃんと前に進めることができたなという実感がある。そこから生まれる毎日何かに追われているような充実感を久々に感じていて、なんかちょっとだけワクワクしている自分もいる。始めたことの成果が出てくるのはたぶんまだずっと先で、その頃自分がどんな生き方をしているかはわからないけど、「あの頃の私、グッジョブ!」と笑っていてくれたらいいな。

それから、この一年はやっといろんな人と会ってたくさん話すことができた年だった。いいことも悪いことも、たくさん話した。その中で自分の中にある本当の気持ちや違和感の正体に気付く瞬間もたくさんあった。まずは、24歳の私と遊んでくれたすべてのみなさんに、大きな感謝を。最近すごく思うのが、「本当に人間関係に恵まれたな」ということ。たくさんいるかというとそうではないし、中学で一旦人間関係をリセットしたこともあるくらいうまくいかないこともそれなりにあったけど、いますごく良い距離感で仲良くしてくれる人がたくさんいて、その事実に私はかなり救われている。時々、「なんでみんなこんなに私に優しい言葉をかけてくれるんだろう」って思うくらい。ありがたいことだ。大切にしなければ。

24歳は心が沈んだり浮いたりして特に騒がしい一年だったので、心のモヤモヤしたところを吐き出させてくれて、尚且つ受け止めてくれたことが嬉しかった。みんなのおかげでたくさん笑えました。よくみんなが撮ってくれた自分の写真を見返すんだけど、写真の中の24歳の私は本当によく笑って、幸せそうだった。これを読む人がどれだけいるか分からないし、直接言うべきなんだけれど、本当にありがとう。こんな私ですが、よろしければこれからも遊んでやってください。

このブログを書こうと決めたタイミングで、携帯のリマインダーに「23歳」というタイトルのリストを見つけた。いろいろと人生の目標みたいなものが書かれていて、当時の心境とかを思い出したりした。なんかしんどそうだなあって感じる目標ばっかりだったけど、2年くらい経ってどうだろう、どれくらい達成できたかな。できているような気もするし、まだまだな気もする。今後も引き続きの目標ということで。

23歳の自分に倣って、25歳の目標も立ててみた。いろいろ考えてみたけど、直近で叶いそうで楽しみなのは「富乃宝山ソーダ割を飲む」で、頑張りたいのは「飲み会を程よいタイミングで抜ける」です。お酒の話ばっか。ちゃんと真面目なものもあるから、実現できるように頑張らないと。

あとは自分の頭の中でぐるぐるしている言葉やアイデア、感情をできるだけ外に出せるようにしたいというのが結構大きなテーマ。実はひとつ誕生日までにやろうと思ってたことがあるのだけれど、それは早々に頓挫してしまったので、次の一年のうちにやり切りたいなと思っている。

さて、25歳はどんな一年になるだろう。できれば難しいことを考えずにずっと楽しいと思えることをやっていたいけれど、実は漠然とした不安に迫られる瞬間もあって、そろそろ現実と向き合う勇気も必要なのかなと思う自分もいる。でも、いま感情の赴くまま、流れに乗って泳いでみた先にどんな景色があるのか見てみたいから、現実を横目で見ながら自分らしく生きられたらいいな。そして自信を持って自分のことを好きだと言えるようになりたい。そのために、もう少しだけ、悪あがき。

こんなにも大切だったなんて

今日感じたことをそのままどこかに残しておきたくて、ペンを執ることにした。正直、今の私の心情はとてもネガティブで、側から見るととても傲慢な言葉もあるかもしれないが、しばしご容赦願いたい。

Sexy Zoneから、中島健人さんが卒業する。

その報せを耳にしたのは、奇しくも友人とSexy Zoneの物語性について語り尽くした後だった。「もう、これ以上の物語を綴るのはやり過ぎだ。そろそろ安心して、幸せになりたい」と話していたが、またひとつ物語が生まれてしまった。

Sexy Zoneからケンティーがいなくなる。そんなこと、想像したことも、想像する日が来ると思ったことすらなかった。ケンティーがこの世界で生きていくすべての原動力は、Sexy Zoneにあると信じて疑わなかった。寝耳に水とは、まさにこのことだ。でも、現実は私が思っていた以上に非情だった。ケンティーは、Sexy Zoneという名前と共に、グループから消えてしまう。

友人と一緒に、FCにアップされた動画を見た。そこには至極前向きな言葉が並べられていた。私たちは言葉をそのまま受け止めることしかできないから、全員が納得して出した答えなのだと思うしかない。だけど、どうしても現実だと思えなくて、それを見て余計に信じられなくなってしまった。

正直、今、とても落ち込んでいる。

私たちはどんなにアイドルのことを理解した気でいても、本当にひとかけらも理解することはできないのだ。ほんの少しの断片を受け取って、それをアイドルそのものだと錯覚しているに過ぎない。だって現に私たちは、「ケンティーはグループのためにずっとずっと頑張るひとだ、改名してもそれを前向きに捉えて、グループの名前を知らせるためにもっともっと頑張ってくれるはずだ」と、勝手に思い込んでいたのだから。どんな苦悩を抱えていたのかも知らずに、私たちは自分たちで描いた理想像に彼を詰め込んでしまっていたのだ。

そんなこと、ずっと前から知っていた。あらゆるお別れを見てきて、私たちが目にしているものはほんの小さな欠片に過ぎないことを知って、言い聞かせてきた。それにもかかわらず、ケンティーに対しては、その事実をすっかりと忘れていた。そして、今回のこの報せで、改めてこの揺るがぬ事実を突きつけられてしまったのだ。悔しいし、自分たちがいかに間抜けだったのかを思い知らされた。本当に、情けない。この世界の事象に、「絶対」も「永遠」もないのに、そのことを忘れていた。

ファンというのは、実に無力で非力な存在である。これもまた錯覚で、こういう出来事に接しない限り私たちはこの事実を忘れてしまう。そして、アイドルが届けてくれる愛の言葉に甘えてしまう。だけど、やはり、最終的に私たちがどれだけ悲しんだり悔しがったりしても、何かを変えられるわけではないし、今までもこれからも、その力を得ることはできないのだ。ただ、願い、祈るだけの、ひ弱な人間の集合体なのである。

私たちは「中島健人」という存在を、どれだけ理解できていただろうか。この決断の裏に秘められた真意を知ることすらできないのに、まったく予想すらしていなかった事実が目の前にあるのに、何をどうすればいいのだろうか。ケンティーがこの場所を旅立ってやりたいと考えていることは、本当にこの場所にいたらできないことなのだろうか。ぐるぐるといろんな疑問が頭を駆け巡った先に、「ケンティーがやりたいことは、この場所では叶えられないって、割り切られたんだ」と感じてしまうことが何より苦しい。それってどんなものなんだろう。それに私たちは納得できる日が来るのだろうか。納得するなんて、なんと烏滸がましい。でもやっぱりこんな幕引きって……と、ぐるぐる。

2022年、彼らはひとつ大きなお別れをした。マリウスの卒業。彼のいないこの場所はとても悲しくて寂しかったけれど、それでもこの場所を残すと決めた4人を守りたかったし、ずっと応援したかった。やはり私はグループの一員として走るアイドルが好きで、居場所を残すと決めてくれた人たちを応援していきたい人間だけど、その相手は、ずっと、ずっと、4人がよかった。信じてしまっていた。ケンティー、こんなことを今ここで言っても意味がないとわかっているけど、私は、すごく寂しいし、悔しいよ。

ケンティーがこの決断を下した経緯を、きっとすべて知ることは不可能に近いだろう。邪推することしかできないが、想像する理由はどれも私たちにはどうすることもできないことで、結局どんなに愛を伝えても、形で示そうとしても、避けられなかったように思う。あまりにも無力だ。ドームツアーのラストで「Sexy Zoneという名前が本当に好きだった」と涙を流したケンティーのことを思い出し、改めて、私はグループ名の改名を本当に軽く見過ぎていたと思った。名前が変わっても、形が変わるわけじゃないから大丈夫、と考えていた私は、あまりにも考えが甘かった。

だからこそ、グループを残すと決めてくれた風磨くん、勝利くん、聡ちゃんのことがとても心配だ。普段からSexy Zoneは私たちにネガティブな感情をあまり伝えようとしないし、とにかく私たちのことを思いやってくれる。そんな優しさも、今は少し辛い。私たちに伝えてくれ、とは言えない。だけど、どこかでちゃんと、言葉にできていますように。私は、あなたたちの味方でいたい。特に風磨くんは、どこかで「それでも、中島が隣にいるから」と思っているところがあったのではないかと思う。そんな存在を失ってしまうこれからのことを考えると、今よりもっと自分をストイックに追い詰めてしまわないか、心配になる。どうか、どうか、責めたり追い詰めたりしないように。もちろんこれは、勝利くんと聡ちゃんも同じく。

この先、私は3人で進むグループ活動を応援できるだろうか。いまはまだ何もイメージできていないけれど、ひとつ確実なのは、この先3人が選んだ道を最大限に応援できる自分でいたいということ。だって、この出来事を踏まえて、グループの看板を畳む選択だってできたはずで、それくらいの大きな出来事だと思うけど、それでも歩みを止めないことを選んだのだから。きっと叶えたい夢は、グループで進む道の先にあるはずだから。その未来には、ケンティーがいてくれたらどんなによかっただろうと思うけど、もういないのだとしたら、私は、3人ができるだけたくさんの夢を叶えていく姿を目に焼き付けていたい。そんな自分でいれるように、祈ることしかできない。

つい先日まで行われていたドームツアーで、風磨くんは「永遠なんてきっとないけど、永遠を信じられる僕たちでいたいし、いてほしいと思う」と言っていた。彼は、どんな気持ちでこの言葉を言ったのか。考えただけで苦しい。それから、数年前のROTで言っていた「だから祈るしかない。どうか20周年を5人で迎えられるように」と言っていたことがずっと忘れられないのだけど、当時こんなことになるなんて一ミリも想像していなかった。当時から風磨くんの気持ちが変わっていないのだとしたら、これほど苦しいことはない。

今回の報せに際し、改めて「永遠なんてない」と突きつけられたし、もう何も信じられなくなりそうなくらい、ショックを受けている。どんなグループにもこれが言える。常に忘れないようにしなきゃいけない。それくらい、ケンティーがこのグループの中で生きている、アイドルとして生きていることは大きな支えだった。「アイドルであることには変わりはない」と言うけれど、私はその言葉には同意できない。あなたは、私にとって、3月31日以降「アイドル」としてみることはできない。それが、何よりも悲しい。

そして、どんなに悲しんでも結局「アイドルとファン」という関係性は「赤の他人」でしかない。アイドルを好きな人間として生きていくにあたって、改めてそれを忘れないようにしなければいけない。近いと錯覚してはならない。この無力さを、ちゃんと実感しながら生きていかなければならない。

最後に。timelessという歌は、当時、「マリウスとSexy Zoneのお別れの歌」だと思っていた。ドームツアーでは「5人と『Sexy Zone』という名前とのお別れの歌」に変わって、今では「ケンティーと、3人のお別れの歌」に変わっていっているように思う。この歌がこんなに意味合いを変えて深く心に刻まれる歌になるとは。ああこんなにも、大切だったなんて。

2023年12月31日

現在時刻、2023年12月31日20時15分。

この時間に紅白を見ない大晦日は、記憶にある限りでは初めてだと思う。小学生の頃、苦手だった揚げパンを「食べたくない」と言わなかった私は、15年ほどの時を経て、ある人から見ればくだらないだろう理由で、紅白を見ないことにした。

数ヶ月前ほどは、とは言いつつも苦しくてやるせない出来事は続いている。自分が何をしてあげられるわけでもないのが悔しくて仕方ないけど、その分彼らの心意気にたくさん救われてしまった。守りたいと思えるものが、これからもどうか続きますように。きっとこれからもそれなりに傷ついてしまうだろうけど、きっと、きっと、大丈夫だって思いたい。

今月、Sexy Zoneのライブに行った。大きな会場でキラキラと輝く彼らの姿は、私たちの希望であり、勇気だった。彼らもまたひとつ区切りを迎える訳だが、あたたかなお別れの場を設けてくれたことに感謝したい。このクオリティのエンターテイメントが続くことを願う。心から。

仕事で言うと、4月の異動で私の職場に来たお兄さんがあまりにも仕事のできない方で、上司のストレッサーになっている状況が続いている。私にもお兄さんの皺寄せが来ていて、なんかもうお兄さんがいない方が仕事が回るのでは?と思ってしまうことが何度かあるのだけれど、その感情は人としてどうなんだろうという僅かな良心との間で葛藤している。何を指摘しても跳ね返ってくる感覚、彼の中には何一つ届かないのではという不信感。上司はそれにも対処しなきゃいけないけど、そもそもがパワハラ気質なので、ふたりのやり取りを聞かなきゃいけない状況もしんどい。個人的にはどちらの味方にもなりきれなくて、みんなが心地よく働く環境を作るってすごく難しいんだなあと思うなどしている。

この前、職場の忘年会の3次会で、同僚から「あなたは本当に頑張った、頑張ってるよ」と言ってもらった。そう思ってもらえていたらいいな、と思ってはいたけど、直接言葉にしてもらえるとは思っていなかったので、素直に嬉しかった。そう、紛うことなく、私は頑張ったのだ。少し前、職場に関する悩みをいつも聞いてもらっている友人から「あなたは負けず嫌いなのかもね」と言われた。負けず嫌いだから、あの上司に負けることなく頑張れたのだ、と。私は自分自身を負けず嫌いだと思ったことはその瞬間までまったくなかったので最初は驚いたが、だんだんと納得していく自分がいた。今となっては、私は上司にとってかなり信頼の置ける右腕だそうで、こちらとしてはありがたくない話だけれども、これも負けないように踏ん張ったことの副産物なのだとしたら、やはり負けず嫌いというのも悪くないかもなという気がする。

初夏、ついに歯列矯正を始めた。大学生の頃からずっとやりたくて、でもいざというときに躊躇ってしまって5年ほどが経ってしまった。これからを考えたときに、もう今しかないと思った。それと、あるアイドルがデビューした後に矯正を始めて、すごく綺麗な歯並びになってから本人の表情に自信を感じられるようになったことも、かなり大きな動機になった。こんな風に、自信を持って笑いたいと思った。今月、やっと下の歯にもワイヤーを取り付けて、いよいよ本格的な治療に取り掛かる。不便だし、不格好だし、なんだかんだ落ち込んでしまうことも多いけど、これを乗り越えた先にある少し自信を蓄えた私に会えるのが楽しみだ。

9月に入った頃、パーマをかけた。大学生になりたての頃に1日も経たず落ちてしまって以来のパーマ。くるくるの髪の毛にしばらく慣れなかったが、それはもう時間の問題。もうしばらくはこのままでいいなと思っている。昨年初夏から伸ばし続けた髪はもう肩につくくらいになって、かなり長くなったけれど、短くするタイミングを失ってしまった。みんなにも褒めてもらえているし、なかなかここまで伸ばそうと思えることもこれから先なさそうなので、あともう少しは、この長さを楽しんでいようかな。

それから最近、ピラティススタジオに入会した。これもまたかれこれ1年ほど興味があって、あらゆる人に「習ってみたいんだよね」と話し続けていたが、思い切りがなく始められていなかった。でも、10月くらいにぎっくり首(とやらは、調べてみると本当にあるらしい。ストレートネックや姿勢の悪さが原因になるそう)になったことで「そろそろ私、本気で自分の体に向き合わないといけないのでは?」と思うようになった。ピラティスはかなりストレッチの要素が多いと感じていて、この鈍りきった体にはちょうどいい。本格的に習うのは来月からだが、まずは1年続けてみたい。

体といえば、数年ぶりにちゃんと体調を崩した。38度以上の高熱が治ったと思ったら、1ヶ月以上止まらない咳に悩まされる始末。治らない咳に不安を覚えて病院に行くと、「喘息に限りなく近いね〜。気管が弱ってる」とのこと。まさかこの歳で(ほぼ)喘息になり、吸引薬を摂取することになるとは。この件では多方面で迷惑をかけ、かなり落ち込んだ。このほかでも病院のお世話になることが人生で最も多い一年だった。とにかく健康であるに越したことはないし、仮に体調を崩したとしても、そのサインをできるだけ見逃さないようにしたい。

来年は25歳になる。目標はいくつか立てているけれど、ここには敢えて書かないことにする。とにかくたくさん笑って、いい一年にしたい。

さて。現在時刻、21時10分。来年はどんな一年になるだろうか。たくさん笑えるだろうか。幸せでいられるだろうか。期待と不安を抱えながら、23時半からのキンプリの年越し生配信に備えて、酒を入れ、そばを食べることにする。

2023年9月

10月4日。月に一回は言葉を綴ろうと決めてからもう2ヶ月経った。結局何かを続けるには根性がなくて、一生こんな感じでいるんだろうなあと思う。でも、最近唯一と言っていいほど続けられているのがDuolingoの韓国語講座だ。朝、バスに乗っているほんの数分だけだけど、続けているとDUOがよくできたねって褒めてくれる。それが嬉しくてなんだかんだ1ヶ月くらい続いている。上達している実感はまったくと言っていいくらいだけど、「継続」が大事なんだと言い聞かせることにする。

この1ヶ月は残業代にすべてを捧げた。本当に面白いくらいに仕事が定時で終わらなくて、やらなければいけないことから目を逸らしそうになった。はじめて任された仕事で、なんとかひとりでやり切りたくて、少し無理をしたところもあった。この職場に配属されて3年目、ずっと憧れていた先輩がやっていた仕事だ。まさに短期決戦という感じで、1ヶ月みっちり頑張った。上手くできたかどうかはわからないけど、自分なりに努力できたし、何よりこの仕事に関することで職場で一度も泣かなかったのが個人的には成長したなあと思ったりもした。達成感と、それを超えるくらいの疲労感。感謝したい人はたくさんいるけど、自分に一番ありがとうを言いたい。頑張ってくれてありがとうね、耐えてくれてありがとうね。

そんな感じの1ヶ月だったので、ある意味プライベートの延長線にある苦しいこと、切ないことから少しだけ目を逸らすことができた。こればっかりは答えのないことだと分かっていても、頭では理解していても、私は今この場所で起きていることを肯定するのが難しい。行きすぎた正義感と、同調する空気感に押しつぶされそうになる。たったひとりの、ちっぽけな人間ですらそう思うのに、彼らは今どんな気持ちでいるのだろうと考えると体が震えるような感覚になる。何が正解なんだろうか、私は正しくいられているのだろうか。どうか、この荒波を、生き抜きたいし、生き抜いてほしい。結局のところそこに帰着する。おかしいと言えないなら、おかしくなるまで耐え抜きたい。

一連の出来事には、できるだけフラットな感情でいたいし、一定の距離感を保ちたいと思って日々を過ごしている。でも、9月のある日、残業でひどく疲れた帰り道に、何の気なしに聴いたあるアーティストのある楽曲のある一節が心に刺さりまくってしまった。そう思った瞬間駅のホームで涙を抑えられなくなってしまった。そうなったらもう止められなくて、家に帰るまでずっとボロボロに泣いていた。誤魔化そうとしても無駄で、母に一言「疲れた」とだけ言ってしばらく泣いていたら、母も同じように泣いていた。たぶん疲労感だけが原因じゃないとどこかで気づいていたのだと思う。このとき、私はこの出来事に対して全然フラットな感情でも、一定の距離感を保っているわけでもないことに気付かされた。思っているよりもずっと傷ついて、心を痛めている。心のSOSを知っていて、無視しようとして、ごめんね。

終わりの方には、大学時代のゼミの仲間と担任の先生と会った。会うのは卒業式以来という人がほとんどで、なんとも言葉に表し難い緊張感を携えて会場に向かった。結果、信じられないくらい楽しかった。何より、みんなそれぞれの場所で懸命に日々を過ごしていることを知ることができて嬉しかった。私も毎日頑張ってるよ、と伝えることができてよかった。ほんとうにバラバラの進路を選んでいる(というのもこの日に知った)みんなのことを、心の底から応援している。そして、3年と言わずまた話ができたらいいな。

全員で会う前に、ゼミでも特に仲の良かった2人の友人と会っていろんな話をした。3人で会うのももしかしたら卒業式以来かもしれなくて、ほんとうにあっという間に時間は経つんだと実感する。そのうちの1人とは12時集合で6時間半しゃべり続けた。彼女はもうすぐ人生の岐路に立つらしく、自分たちが過ごした時間の長さを思って感傷的になったりもした。彼女とご飯を食べている時、また例の話になって、色々と話を聞いてもらった。誰かに聞いてもらうのはほぼ初めてで、正直面倒だったのかもしれないけど、ちゃんと話を聞いてくれて、「好きだという気持ちは間違いでも、誰かに非難されるものでもない。好きなものは好きでいていい」と言ってくれた。その時は笑ってありがとうを伝えたけど、内心泣きそうで仕方なかった。こんな言葉をかけてくれる心優しい彼女と友人でいられることに感謝しないといけないし、これからもずっとこの関係が続いたら嬉しい。

残業続きの毎日が明けて、疲労感としばしおさらば。打ち上げではたくさんの責任職の方と話をさせてもらって、たくさん褒めてもらった。ずっと年上の部長と同じ中学校出身なのが発覚したのも良い思い出。初めての職場なのに、とても良い環境で仕事をさせてもらっているのだと改めて感じる日だった。

仕事がひと段落したので、ご褒美を買うことにした。iPhone15。なかなか届かなくて、ケースが先に届いてしまう事態になっているけど、届いて使い始めるのが楽しみ。今のいちばんのモチベーションかも。とにかく私も、あの子も、あの人も、健やかに生きられますように。

2022年12月31日

おわり、はじまる。いまの気持ちを忘れないように記しておこうと思う。

2022年12月31日。Sexy Zoneからマリウスが卒業する。それまでの5日間。実感するようで、実感できない時間だった。まさか、最も好きなグループ2組が2020年と2022年の同じ日に節目を迎えるとは、考えてもいなかった。

発表された日、初めて聞く「卒業」という言葉とその事実を受け止めきれない自分がいた。この2年間、実はどこかでこうなることを覚悟していた自分がいたのも間違いじゃないけど、それでもこんなにあっという間に来てしまうとは思っていなかった。だってずっと5人で並んで活動すると思ってたし。復帰して冠番組ができて……とか想像してたし。職場で涙を堪えるので必死だった。

でも、ファンクラブ動画を見て、気持ちが変わった。ずっとあやふやになっていたマリウスの2年間の過程、今回の決断に至った理由、そして今後のビジョン。私たちが知れる範囲のことはすべて話してくれたんじゃないかと思う。今まで起きたことで何がダメで、何が良かったかとかはもうどうでもよくて、ただSexy Zoneとして活動してきた時間の中で自分がやるべきことが明確になって、そのためにここを巣立つ。ちゃんとマリウスの想いが乗っかった言葉で伝えてくれた。そして、これはマリウスだけの決断じゃなくて、Sexy Zoneとしての決断だということも添えられた。なんと言うか、もうここまで聞いて受け入れない方が難しいとすら思えた。気づいたら、笑っていた。

こんなに温かく、清々しい別れがあるだろうか。

いま、今後に対する不安がひとつもなくて、モヤモヤした気持ちもなくて、納得して、「卒業おめでとう」という気持ちでいる。そんな気持ちで送り出させてくれる彼らがとても誇らしい。すごいグループに出会ったんだなあと思う。この5日間でまた5人のことが大好きになってしまった。

27日から、怒涛のインスタ投稿やインスタライブで忘れかけていた寂しさが、ふとした瞬間に甦る。楽しそうな姿を見れば見るほど、嬉しくて、ちょっぴり寂しい。これまでの時間に何ひとつ間違いなんてなかったと思いたいけど、願くば、この時間が、感情が、永遠であってほしかったな。私ですらそう思うのに、5人はいまどんな気持ちでいるんだろう、と考えるとまた泣きたくなってくる。

これからもときどき、私はマリウスのことを思い出すと思う。もしかしたらライブのMCとかで名前が出てくることもあるかもしれない。これはある種の別れではあるけれども、でも確実に心が繋がっているよという誓いでもある気がしている。「卒業」という言葉には、そんな希望が含まれているようにも思えるから不思議だ。

これからカウントダウンライブを見て、私は5人で活動するSexy Zoneにありがとうとさよならを言います。そして、新しい年を迎えても少しだけ許された5人の姿を見てから、また次の一歩を踏み出す4人とマリウスの健康と幸せを心の底から願います。

最後に、私だって貴方達に言いたい。がんばれ。幸あれ。

2022年4月

いろんなことがあった。良くも悪くもいろんな感情と出会うことになった1ヶ月だったので、そのことを忘れないようにここに記しておこうと思う。

まずは、社会人2年目になった。あっという間の1年だったなあと思う。まだ私は完全な大人ではないと思っていて、たくさんの人に助けられながら辛うじてまともに生きられている感じだが、助けてもらえることがどんどん減ってきて、自分で解決しなければいけない問題も増えてきたように感じられる。どうしたらいいかわからないし、誰も私のことを理解してくれないと感じることも増えてしまった。それでも、なんとか歯を食いしばって自分にできることを探しながら生き抜いた感覚。働くって本当に大変だし、面倒なこともたくさんあるけれど、私は「誰かに頼りにされる」という経験をしたことで大きく成長できたと感じている。頼られるって、嬉しい。

あとは本当に良い上司に囲まれたな、と実感した。仕事は「人」。それに尽きる。社会人1年目が後半に差し掛かり、もうこの方たちと一緒に仕事することはないかもと感じ始めた頃から、すごい気分が落ち込んだ。いつも私をよく導き、よく守り、よく支えてくださる方たちだった。私はこの人たちがいるから、めげそうな時も乗り越えなければ、と自分を鼓舞することができたと心から思う。最後の日、本当に泣きそうになりながら、係長に「本当にお世話になりました」と伝えたら、「勝手に育ってくれたようなもの。水と太陽だけで育っちゃうような人でした」と答えてくれた。絶対にそんなことないんだけど、この人にそう言われたらそうなのかもと思うほどには係長のことを尊敬していたので、本当に本当に嬉しくて言葉にならなかった。課長にも「本当によくがんばってくれましたね」と声をかけてもらい、優秀な方が揃ったこの部署で、誰にもなめられないようにとなるべく多くのことを吸収し、フィードバックできるように努力したことを、見てくれている人がいて良かったと思った。がんばってよかった。

3月から4月にかけて多くの人を見送り、多くの人を出迎えた。別れは辛いけれど、それに慣れていかなければいけないと思った。社会人1年目にして多くの良い出会いとの別れを経験してしまったので、喪失感が大きかった。不安も大きかった。甘えていたのかもなあと思うけれども、それでも新しいコミュニティーを作るのは久しぶりのことだったし、ワクワクというよりは、ドキドキ、ソワソワという感じ。

それだけに、4月の1ヶ月間は、一言で言うと「試練」だった。これまで上手く回っていたことがひとつも回らなくなり、余計な気を遣うようになり、業務以上の疲労を感じることが多くなった。最近になって、同じ係のお母さん(と私が勝手に心で読んでいる)も同じように感じていたと知り、「私だけじゃなくてよかった……」となった。残業も増えて、「なんか、ちがう……」と思いながら仕事をする1ヶ月。正直苦しくて、職場で泣きかけることが激増した。もうそろそろ、心が壊れそうである。

特に直属の上司と話していると、本当に性格が合わないようで、今こうして文章を書いている時も胸焼けのような気味悪さを覚える。常に私の言うことを否定し、私が伝えたいことの本筋ではないところで謎に話が展開され、理解してもらえるまでに倍以上の時間を要する。部下の私を問題の矢面に立たせ、私が批判を受けた時も大したフォローをしてくれなかった。もちろん人が違うわけだから去年のようにいかないのは覚悟していたことだが、こんなにうまくいかないといろいろと不安になる。そして一番苦しいのは、それを私に特別な悪意があるという様子ではなく、あくまでも自然体で繰り返していることだ。本人にはまったく悪気がなさそうなので、指摘もしづらい。そもそも直属の上司なので、この気持ちを伝えることで働きづらくなるのが一番怖い。どう伝えるべきか。伝える必要があるのかないのか、考えることにエネルギーを使うのにも疲れてしまった。いつかこの不気味な感覚にも慣れて、何も感じなくなる日が来るのだろうか。その時、私はどんなことを考えながら生きているんだろうか。

4月。私は社会がそんなに甘くないことを思い知らされた。